障害者たちが幸せな国
ウン・ヒギョン(小説家)
ハンギョレ 2001-12-29
アメリカのある報道人がこんなことを言ったという。「私は黒人になれないし女性にもなれない。しかし今日の夕方、家に帰る途中に障害者になることはありうる」。黒人と女性と障害者は長年の間、差別を受けてきた社会的弱者だが、そのなかでも特に障害者問題は誰にとっても他人事ではないというのである。
そのような認識が社会全般に広まっているせいだろうか。その国に行けば空港で障害人用の施設案内の表示をたやすく見つけることができる。アメリカがものすごく嫌いだった私の友達が、仕方なく移民を準備することとなった理由もまさにこのためである。障害者である自分の子供を幸せに育てることが韓国では不可能だというのである。私たちの社会が障害者の権利に関心が薄いということは誰もが知っていることである。車寄子が通れるように歩道上の障害物をなくすことさえ実行されていない。街を行き来する障害者の姿が目立たないので、外国人旅行者らは韓国には障害者がこれほどまでに少ないのかと聞いてきたりする。
もちろん日常生活に不便がないように障害者施設を用意することも重要である。だがそれより先に自らが障害者に対して偏見がないか、冷情に考えてみる必要がある。障害者は普通、他の人が助けるべき非正常で不具の人々ではない。障害者に対する思いやりは善行や犠牲ではなく、一つの社会でともに生きる人々が当然持つべき他人の権利に対する尊重である。一行の中で背の高い人が棚の上の荷物を下ろすように、当然行なうべき自然なことなのである。
この間の冬、スキー場で特殊装備を利用してスキーをする障害者たちを見た。両足がない人も険しい氷の尾根に沿って山を降りることができるだけでなく、とても楽しんでいる様子だった。不思議な光景だったし、一方では感動的でさえあった。しかしそのような感動が偏見からくるものだったことを告白する。私は障害者を特別な人間として見ていたのである。単に生の条件が制限されているとか、あるいは少し異なるだけで、私とまったく同じなのだという事実を、あの時は認識できなかった。
外国を旅行中に同性愛者たちの祝祭を見物することになった。個人資格の同性パートナーたちはもちろん、各地域の代表、企業や大学、警察署のようなお堅い組職からも代表が出て、同性愛者であることを主張して祝祭の形式で権利の主張を行なった。派手なバレードを見物する人波の中には、車寄子に乗った障害者も時折目についた。祝祭が終わってから、私がバスの停留所で遭遇した車寄子には、言葉もしゃべれず頭さえきちんと持ち上げられない重度の障害者が乗っていた。彼の前にバスが止まり、バス運転手はレールのような装置を下ろした。それに乗って車寄子が車中に入ってくる間に多くの時間が過ぎたが、満員のバスの乗客たちはその障害者1人のためにじっと待っていた。やがてバスに乗りこんだ彼が車寄子に付いたボタンを押すと、「市立病院まで行きます」という録音音声が聞こえてきた。
そのような重度の障害者が、他人の助けなしに混雑する通りを歩き回ることができる社会システム、障害者ではあるが、同性愛を支持して祝祭を楽しむために外出をはばからない幸福の権利に対する堂々たる姿勢、そのすべてを自然な日常として受け入れるバスの乗客たちの「他人の権利を尊重することで自分の権利が保障される」という合意。私にはすべてがみな驚異だった。あの時の印象があまりにも強烈だったからか、また他の外国を旅行した時、ナイトクラブの中を車寄子であちこち移動し、恋人と一緒に踊る障害者を見た時には、もう不思議とか不自然ではないように感じられた。偏見は矯正することができることを知った。
障害者の学生たちを一般の学生たちとの統合キャンプに参加させたという理由で、ある教師が解任されたという記事を見た。障害者の学生たちが一般の学生と一緒の教室で勉強する様子を想像してみる。入試中心の教育に浸りきった学校側と父兄は、学習能率が落ちる、環境が違うなどと言いながら反対するだろう。しかし、少数者の権益に対する教育は社会全般を成熟させるものなのである。